「週6勤務はきつい」
そう調べているということは、いま週6で働いているか、これから週6になるかのどちらかだと思う。
俺は物流会社の営業所で、月曜から土曜まで3年働いた。
先に、この記事でいちばん大事な数字を1つ出しておく。
月1回。
週6が始まったときの、土曜出社の回数だ。
週6の話をしているのに月1回か、と思うかもしれない。
俺は最初から週6だったわけじゃない。
月1回から始まって、半年かけて毎週になった。
だから、週6になった日が自分でも分からない。
先に正直なことを書く。
「週6はきつかったか」と聞かれると、すぐに「きつかった」と答えられない。
途中から、当たり前になっていたからだ。
そしてこれが、この記事でいちばん言いたいことになる。
週6に慣れたのは、俺が強かったからじゃない。
一人だったからだ。
たぶん、いま検索している人が知りたいのは「週6ってどれくらいしんどいのか」だと思う。
でも俺が3年やって残ったのは、その答えじゃなかった。
しんどさより先に、しんどさを感じなくなることの方が問題だった。
順番に書く。
先に、この記事で言えることの範囲を出しておく
「週6勤務」で検索する人の職場は、飲食かもしれないし、小売かもしれないし、美容室かもしれない。
俺が書けるのは、そのうちの1つだけだ。
- 物流会社の営業所にいた
- 職種は配車(運行管理)
- 月曜から土曜。日曜と祝日は休み
- 3年働いて辞めた
つまり1社・1現場・3年分の話だ。
もうひとつ先に断っておく。これは「何十連勤も続いた」という話ではない。
連勤は最長でも6日で、日曜は休めていた。その意味では、まったく休めない職場ではなかった。
それでも3年で辞めた。理由を、できるだけ正確に書く。
週6は、いきなり始まったわけじゃない
入社した4月、研修中は週5だった。普通の会社と同じだ。
配属されたのが5月。ここでも、いきなり毎週の土曜が消えたわけじゃない。
最初は月に1回だけだった。
稼働日のカレンダー上で「出社日」に指定されている土曜があって、その日だけ出る。それ以外の土曜は休みだ。
月1回なら、正直なんとも思わない。
月に1回、土曜に出る。それくらいなら「まあそういう会社もあるよな」で済む話だ。実際、当時の俺は何とも思っていなかった。
この時点で「週6の会社に入ってしまった」という自覚は、まったく無かった。
変わったのは半年後の11月だった。冷凍倉庫に異動になった。
そこで配車を担当することになった。乗務員が土曜も動く以上、その日の指示を出す人間が要る。
つまり俺が出ないと、その日の配送が回らない。
そこから、毎週土曜はほぼ出社になった。
土曜だからといって、早く帰れるわけでもない。平日とだいたい同じ時間、終日いる。
こうして並べて書くと、増え方がはっきり見える。
でも、当時はこう感じていなかった。
月1回が、いつのまにか毎週になっていた。
一段ずつ上がったから、階段だと気づかなかった。
もし入社初日から「うちは毎週土曜も出社です」と言われていたら、たぶん何か思ったはずだ。
でも実際は、月1回から始まって、半年かけて毎週になった。
途中に「今日から週6です」という日が無い。だからどこで反応すればいいのかも分からない。
週6がきつい会社の求人票に「週6勤務」と書いてあるとは限らないのは、たぶんこれが理由だと思う。
ただし、一度も休めなかったわけじゃない
ここは正確に書いておきたい。
「毎週ほぼ出社」と書いたが、月に1回は土曜に休んでいた。
休めた土曜は、普通に出かけていた。完全に土曜が消えていたわけではない。
日曜も祝日も休みだったし、連勤も最長6日で止まる。数字だけ並べれば、そこまで極端な職場ではない。
だからこの記事は「休みが無くて限界だった」という話にはならない。
休めていたのに、それでもおかしくなっていた。そこが書きたいところだ。
ちなみに仕事の中身は運行管理の仕事はきついと物流倉庫の仕事はきついに書いてある。
なぜ慣れたのか。根性じゃなかった
週6に慣れた理由を、当時の俺は「そういうものだから」で片づけていた。
いま振り返ると、はっきりした理由がある。当時の実感をそのまま書く。
「どうせ知らない土地で一人だし。仕事をしていた方が人と話せるしいいかな」
これだ。
俺は転勤で地元を離れていて、知り合いは職場の人しかいなかった。
そのあたりの話は全国転勤はやめとけ?に書いた。休みの日に会う相手も、行く場所もなかった。
だったら、土曜も会社に行っていた方がまだいい。
人と話せるから。
強がりでこう言っているんじゃない。当時、本当にそう思っていた。
土曜に休んだところで、やることが無い。
一日中家で、SNSとYouTubeを見てゴロゴロしているだけだ。それで一日が終わる。
それなら会社に行った方が、誰かとしゃべれる。
休みより、人と話せる方が価値が高い状態だった。
いま書くとかなり歪んで見えるが、当時はそれが自然な計算だった。
休みが1日しかない方が、無駄にした気がしない
もうひとつ、当時は気づいていなかったことがある。
土曜も働いて日曜だけ休む生活の方が、休みを無駄にしている気がしなかった。
休みが1日しかないなら、その1日を寝て潰しても当然だと思える。回復に使うのが正しい使い方に見える。
むしろ「よく働いたな」で終われる。
罪悪感が発生しないので、この生活はおかしいのでは、という問いも出てこない。
休みが少ないことが、休みの使い方への言い訳になっていた。
辞めようと思わなかった理由も、まったく同じだ。
田舎で一人暮らし。知り合いは職場だけ。いい話し相手になっていた。
だから、週6が苦にならなかった。
つまり俺は、週6に耐えたんじゃない。
週6の方が、一人でいるよりマシだった。
そして、誰も止めなかった
慣れた理由は、自分の事情だけじゃない。
周りが誰も止めなかった。
職場の人は、当たり前に土曜も働いていた。その中で自分だけ休むのは、正直かなり気が引ける。
しかも土曜に休むには、こちらから言い出す必要がある。黙っていれば、出社する側に倒れる。
「休みます」と言うのに、毎回それなりのエネルギーが要る。それを毎週やる気にはならない。
ドライバーの人たちは、こう言っていた。
「給与が低いから働きたい。休むと稼ぎが足りない」
この人たちにとって、土曜に出るのは損ではなかった。出た方が稼げる。むしろ休みが増える方が困る。
休まない理由は人によって違うが、結果として全員が働いていた。
週6に不満を言う人は、一人もいなかった。
ここが地味に効く。
職場に一人でも「これおかしくない?」と言う人がいれば、そこで一回考える機会が生まれる。
その一人が、3年間いなかった。
そして職場の外も、同じだった。
親に話したとき、返ってきたのはこれだ。
「若いうちはもっと働いたほうがいい」
そのとき俺の頭に浮かんだのは、これだけだった。
「そんな……」
言い返してはいない。というより、言葉にならなかった。
親は責めるつもりで言ったわけじゃないと思う。心配して、励ますつもりで言っている。
でも受け取る側からすると、いちばん味方でいてほしい相手にまで肯定されたことになる。
そこで俺の中の「これ普通か?」という問いは、いったん消えた。
職場の中でも外でも、週6が肯定されていた。
おかしいと言ってくれる人が、どこにもいなかった。
昼休みという概念が、そもそも無かった
ここまで「週6」の話をしてきたが、正確じゃない部分がある。
削られていたのは、休みの日だけじゃなかった。
1日の中にも、休みが無かった。
昼休憩の時間になっても、電話は鳴る。来客も来る。
外を走っている乗務員に昼休みは関係ない。何かあれば、その時間でもかかってくる。
他の人は休んでいた。対応するのは俺だけだった。
だから席を立てない。
制度としての昼休憩は、もちろんある。あるにはあるが、その時間に休んだ記憶がほとんど無い。
じゃあ別の時間に休んだのかというと、それもない。
完全に休める時間は、1日の中にほとんど無かった。
そのうち、昼ごはんを食べなくなった。
食べないと決めたわけじゃない。食べる時間に食べられないから、そのまま抜けただけだ。
体重は、ずっと低いままだった。
痩せようとしていたわけじゃない。食べる機会が生活から抜けただけで、勝手にそうなった。
しかもこれを、当時は問題だと思っていない。
「昼を食べない人」というだけの話として処理していた。そういう体質になったんだな、くらいの認識だった。
他の人が休憩している横で電話を取りながら、思っていたことはある。
「なんで自分だけ」
思ってはいた。
でも、言わなかった。
言う方がしんどかったからだ。
ここが、いま振り返っていちばん引っかかる。
俺は、何も感じない人間になったんじゃない。
感じても、言わない人間になっていた。
たぶんこれが「慣れる」ということだ。
言わなかった理由も、はっきりしている。
言えば、誰かが代わりに電話を取ることになる。その調整を頼むところから始まる。
そのやり取りにかかる労力の方が、黙って電話を取るより重かった。
だから黙って取る。これを毎日やっていると、そのうち何も言わないのが標準になる。
週6がしんどいかどうかを考える前に、しんどいと言う機能の方が先に落ちていた。
自分では平気なつもりだった。身体の方は正直だった
体調はほとんど崩していない。3年間で熱を出したのは、コロナのワクチンの副反応のときくらいだ。
そのときも、会社に行った。
我慢して行ったというより、休むという選択肢が、そもそも頭になかった。
そして出社したら、同じ日にワクチンを受けた人が、みんないた。
全員が、同じ判断をしていた。
だからこれは、根性の話じゃないと思っている。俺が特別我慢強かったわけでもない。
その場所にいると、全員がそうなる。
身体は、こっそり壊れていた
自覚がなかっただけで、身体の方は正直だった。
歯医者に行ったとき、食いしばりが強くなっていると言われた。マウスピースをした方がいい、と勧められるようになった。
そのとき思ったのは、これだけだ。
「まじか。嫌だな」
食いしばりは、自分では気づけない。寝ている間の話だからだ。
自覚が無いところに、先に出ていた。
疲れが取れている感覚も、ずっとなかった。
寝れば多少は回復するが、ゼロには戻らない。少し残ったまま次の週が始まって、それがまた少し積まれる。
平日の夜にやっていたことを書くと、風呂に入って、ご飯を食べて、寝るだけだ。それ以外は何もしていない。
趣味の時間が減った、という話ですらない。そもそも何かをしようという発想が出てこなかった。
生活が回らなくなったかというと、そこまでではない
ここは正直に書いておく。週6で生活が破綻したわけじゃない。
困ったのは歯医者くらいで、日曜にやっているところを探して通っていた。
病院や役所の世話になることがなかったのは、単に運が良かっただけだと思う。もし何かあったら詰んでいた。
ひとつだけ、最後まで慣れなかった
全部に慣れたわけじゃない。
最後まで慣れなかったものが、1つある。
休みの日の電話だ。
電話が鳴ると、どきっとした。
画面を見る前の一瞬、頭に浮かぶのはいつも同じだった。
「なんか自分ミスしたんかな」
呼び出されるのが嫌だったんじゃない。
自分が何かやらかしたんじゃないか、と思うのが怖かった。
「何があったんだろう」と考えはじめると止まらない。
配車は、自分が起こしたわけじゃないトラブルでも自分のところに来る。だから心当たりを探しはじめると、いくらでも出てくる。
そこから「月曜、会社に行くの怖いな」まで一直線だ。
日曜の午後が、それで終わる。
しかも厄介なのは、鳴らなかった日も同じだということだ。
鳴るかもしれない、と思っている時間は、鳴っているのとあまり変わらない。
週に1日しかない休みが、そのまま「次の出勤を待つ時間」になっていた。
週6に慣れた人間でも、これだけは慣れなかった。
心が休まる時間が、週に一度も無かったということだと思う。
我に返ったのは、年末年始だった
3年間、これがおかしいと思わずに過ごした。
気づいたのは、年末年始に地元へ帰ったときだ。
その日のことは年間休日105日はやめとけ?に書いたので、ここでは繰り返さない。
ここに書きたいのは、その後のことだ。
気づいたあと、俺はすぐ戻って、また働いた。
世の中が休んでいる期間に、また働いた。
気づく前と、やっていることは同じだ。
違うのは、憂鬱になったことだけだった。
ここは今でもよく覚えている。
慣れているうちは、しんどくない。
気づいた瞬間から、まったく同じ生活がしんどくなる。
環境は1ミリも変わっていない。変わったのは、それをどう見るかだけだ。
だから「慣れれば大丈夫」というのは、半分は本当だと思う。実際、慣れれば平気になる。
ただ、慣れは一回外れると、二度と元に戻らない。
一度おかしいと分かってしまった生活を、もう一度当たり前だと思い直すことはできなかった。
そこから転職活動が本格化した。
このとき使ったサービスの話は物流からの転職でおすすめのエージェントにまとめてある。
週5になって、最初に変わったこと
辞めて、週5の会社に移った。
最初の週に感じたことは、意外と地味だった。
「月曜に行くことが、そんなにしんどくなくなった」
休みが増えて嬉しい、ではなかった。
月曜が怖くなくなった。
それで分かったことがある。
休みが身体のために要るのは、前から知っていた。疲れを取るためのものだと思っていた。
心のためにも要るものだった。
週6のときは、日曜の午後にはもう月曜のことを考えていた。実質、丸一日の休みですらなかったと思う。
週5になると、土曜に何かあっても日曜が残っている。
「明日も休みだ」と思える日が1日あるだけで、頭の中の圧が変わる。
日数の話ではなく、たぶんこの余白の話だ。
休みの日数そのものの話は年間休日105日はやめとけ?に書いた。ここでは「働く日が1日減った」側から書いている。
いま週6で働いている人へ
最後に書いておきたいことがある。
「週6はきついからやめとけ」とは言わない。
実際、俺はきついと思わないまま3年やった。だから一律に止める資格がない。
問題はそこじゃない。
きついと思わなくなることの方だ。
だから、日数を見るより先に、この3つを見てほしい。
- 1日の中に、完全に休める時間があるか(昼休みが名前だけになっていないか)
- 休みの日に、仕事の連絡が来る職場か
- 職場の外に、話す相手がいるか
とくに3つ目がいちばん効く。
俺が週6に慣れたのは、根性があったからじゃない。
職場以外に、話す相手がいなかったからだ。
逆に言えば、職場の外に人がいる人は、たぶんもっと早く「これはおかしい」と気づける。
気づけるうちに気づいた方がいい。
慣れてしまうと、しんどいことにも気づけなくなる。
もうひとつ付け加えると、いま週6で平気な人ほど、この記事は当てはまらないと思うはずだ。
俺もそうだった。3年間、自分は平気な側だと思っていた。
平気だったんじゃない。比べる相手がいなかっただけだ。
だから、比べる材料だけは持っておいた方がいい。今すぐ辞めるかどうかとは別の話として。
物流という業界そのものをどう思っているかは物流業界はやめとけ?「負け組」なのかに書いた。