デスクに着いた瞬間から仕事は始まる。
配送依頼書の山。「折り返し電話してください」のメモが何枚も貼ってある。
「今日もこれか」と思いながら、同時にこうも思う。「誰も問題を起こしてなさそうでよかった」。
事務所の人たちは談笑していて、電話が鳴っても誰も出ない。昼の電話番も俺だった。ドライバーとの連絡、荷主との連絡、倉庫との調整。全部そうだ。
配車を3年やって、俺はそこから逃げた。
当時は本当に「逃げた」と思っていた。他にやりたいことがあったわけじゃない。ただ続けられなかっただけだ。
しかも当時の俺は、自分には何の価値もないと思い込んでいた。
その思い込みが何だったのか、いま書けるようになったので書いておく。
「配車は花形だよ」と言われて、その気になった
会社を選んでいる段階から、そう聞かされていた。
物流会社の中で配車は花形なんだ、と。それで単純に盛り上がった。他にやりたいことがあったわけでもないし、そう言われれば悪くないと思った。
入ってみると、拠点で配車を回せるのは実質ひとりだった。
上司もできることはできる。ただ営業で手が塞がっていて、「やれる」というだけだった。実務は俺に乗る。
ドライバーの手配。車両の手配。運行計画の作成。トラックが事故を起こせばその対応。ドライバーが急病で休めば、その日の配車を組み直す。
休憩時間は一応あった。ただ電話が鳴れば出る。合間に口へ入れて終わりだ。外に買いに行くという発想がそもそもなかった。
休みの日も私用の携帯が鳴る。「いま荷物を積みに来たんだけど、どこにあるか分からない。すぐ来てくれ」。嫌々ながら会社へ確認しに行く。
ワクチンを打って39℃出たときも、出社した。いまでも覚えている。
この働き方そのものの解剖は運行管理の仕事がきつい5つの理由に全部書いた。ここではそれが3年続いた、という事実だけ置いておく。
俺にとって「価値」とは、人脈のことだった
この仕事を続けて、自分に何が積み上がるのか。よく考えていた。
そして出した答えが、人脈だった。
配車という仕事は、パズルのように組み合わせるひらめきも要る。ただ本当に効くのはそこじゃない。
- 困ったときに頼れる、同業他社とのつながり。車が足りない日に融通してもらえるかどうかは、これで決まる
- 荷主と日程を調整しやすい関係性。無理を聞いてもらえるかどうかも、結局は関係の厚みだ
これがあると、新しい仕事をもらえたり、いまの仕事の荷物量を増やしてもらえたりする。実際、そうやって数字を作っていた。
ただ、ここが問題だった。それは全部、社内での評価にしかならない。
同業のあの人と話が通じることも、あの荷主が無理を聞いてくれることも、会社を出た瞬間に効かなくなる。持って出られない。
それ以外に、外で通用しそうなものが思いつかなかった。
だから結論はこうなった。今のまま続けるしかない。自分には価値がない。
これは市場を見て出した結論じゃない。見ないまま出した結論だった。
転職活動は、2回に分かれている
あまり書かれていない話だと思うが、俺は物流にいる間に2回、転職活動をしている。
1回目は、内定を辞退して終わった。
内定が出た段階で、あらためて考えたからだ。「俺は本当にこの会社に行きたいのか?」と。
そう思ったとき、今のままでもいいのかもしれないと感じた。
仕事は任せてもらえていたし、評価されている実感もあった。ドライバーとも打ち解けて、助け合う関係ができていた。正直、ちょっとは楽しかった。
だから辞退して、転職活動そのものをやめた。
職場が嫌で逃げ出したかったわけじゃない。ここは誤解されたくない。
2回目は「もう無理だ」と思ったときだ。ここで内定を取って、実際に辞めた。
1回目に登録したことは無駄にならなかった。一度止めて戻っても、エージェントは嫌な顔をしなかった。むしろ間が空いたぶん、話が具体的になっていた。
決め手は年収じゃなかった。上司の休みの日だった
先に書いておくと、年収に不満があって辞めたわけじゃない。
1年目300万、2年目350万、3年目400万。社宅の自己負担は月5,000円だったので、家賃はほとんどかかっていない。
この先いくらまで行けるかとか、頭打ちがどこかとか、正直そこまで考えていなかった。給与面は、別に今のままでも特段の不満はなかった。
じゃあ何が決め手だったか。上司を見ていて思ったことだ。
上司は毎日会社に来ていた。休みは週1日。
その週1日も、電話で仕事の話をしている。社内のゴルフに出ていく日もある。
家族がいて、小学生の息子がいると言っていた。
それを聞いたとき、自分の子どもの頃を思い出した。
俺の父親は土日祝が休みで、小学生の俺と遊んでくれていた。
別に上司を責めたいわけじゃない。ただ、目の前にあるのが自分の10年後だとしたら、と考えてしまった。
この働き方のまま、この先家族を持って、何十年も仕事ばかりするのは無理だ。
3年目のことだった。ここで2回目の転職活動を始めている。
総合職としてこの立場をどう感じていたかは物流総合職がきつい4つの理由に書いてある。
辞めると言ったら、急に人が増えた
ここが、この3年でいちばん覚えている場面だ。
あれだけ「代われる人がいない」と言われ、39℃で出社し、休日に呼び出されていたのに、辞めると伝えた途端に人が増えた。
正直、笑ってしまった。
つまりこういうことだ。会社が回らないのではなく、会社が俺に甘えていただけだった。
「自分がいないと回らない」と思っているうちは、たいてい代わりを用意していないだけだ。いざとなれば会社は手を打つ。
これは冷たい話に聞こえるかもしれないが、逆に言えばあなたが抜けても会社は潰れないということでもある。辞められない理由が「自分がいないと困るから」なら、それは理由になっていない。
逃げた先で、配車の経験がそのまま評価された
IT業界に入って、実務でコードを書くことはなかった。やっていたのは確認と管理と、関係者との調整だ。
あるとき、営業部とシステムの利用部門とシステム部で、言っていることが食い違った。俺はシステム部の側で入っていた。
やったことは、物流時代とまったく同じだった。それぞれの立場で何が必要で、何が困るのかを聞き出して、落としどころを探す。
ドライバーと荷主と倉庫と上司の間でやっていたことが、そのまま通用した。しかも評価された。
物流のほうが感情的になる人が多かったぶん、正直こちらのほうがまとめやすいとすら思った。
会社を出たら効かなくなると思っていたのは、人脈のほうだった。それは確かに持って出られない。
でも人脈を作るためにやっていた調整そのものは、どこへ行っても要る。俺はそこを切り分けられていなかった。
スキルが無かったんじゃない。値段のつく場所を知らなかっただけだった。
「向いてない」と感じたときにどこへ動くかはSEに向いてない人の転職先にまとめてある。
ただし、年収は87万下がった
きれいな話ばかりではない。逃げた代償はちゃんとあった。
物流3年目で400万だったものが、SE1年目は313万。87万のダウンだ。
繰り返すが、年収が不満で出たわけじゃない。むしろ下げてでも働き方を変えにいった。だからこの87万は、想定内の代償だった。
未経験で入り直すというのはそういうことだと分かってはいた。分かっているのと、実際に生活が縮むのは別だった。
しかも、そこからの上がり方が遅かった。2年目320万、3年目340万、4年目350万。
5年目の面談で提示されたのが400万だった。
物流3年目と同じ額だ。4年かけて、元に戻っただけだった。
ここで「このままではいけない」とはっきり思った。1回目の転職はキャリアチェンジで、2回目はキャリアアップ。目的がまるで違う。
2回目は、130社に応募した
年収500万以上、リモートが週2回程度ある会社。この2つだけを条件にして、業界と業種は問わずに出した。
応募130社。書類が通ったのが20社。
面接で希望額を聞かれて「500万円を希望します」と答えたときの反応は、いまでも覚えている。
「そんなに偉くなりたいの?」
別の会社では「選考通過の条件は年収400万円以下であること」と言われた。
正直、凹んだ。「いまの350万くらいが適正なのかもしれない」と思いかけた。
それでも希望額は下げなかった。結果、内定は2社。オファーは600万だった。
物流を出るときに87万下げた分は、ここで完全に取り返している。
使ったエージェントと、使わなかったサービスの内訳は物流からの転職でエージェントはどれを使うかに全部書いた。1回目も2回目も、本体はリクルートエージェントだった。
市場価値を確かめることから逃げないために
この記事で言いたいことは1つだけだ。
「この会社でしか通用しない」は、たいてい確かめる前に出した結論だ。
俺は3年かけてその思い込みを育てて、辞めてから1年もしないうちに壊された。もっと早く確かめればよかった。
動く気がないうちにやっておく方がいい。俺は「自分には価値がない」と思い込んでいた3年間、確かめること自体をしなかった。
そのうえで、実際に人と話すと解像度が上がる。俺の1回目は「続けてみようかな」で終わったが、それでも登録した事実が2回目の入口になった。
辞めると決めてからでなくていい。決める材料が無いから決められない、という順番だったと思う。
物流から実際にどこへ移れるのかは物流からの転職先おすすめ7職種に、業界そのものをどう見ているかは物流業界はやめとけ?に書いてある。
いちばん軽くできることを書いておく。
リクナビNEXTに登録して、求人を眺めるだけだ。
人と話さなくていいし、応募しなければ何も起きない。俺が「自分には価値がない」と思い込んでいた3年間、この5分すらやっていなかった。
動くかどうかの前に、確かめる順番がある
順番は4つある。
① 社内で確認する
まず、自分がやっている仕事を社外の言葉に置き換える。
- いまの仕事が、求人票では何という職種名で書かれているか
- 評価されている中身が、社内でしか通じないものかどうか
- 数字にできる実績があるか(件数・金額・削減時間)
- その実績を、他社の求人票が求めているか
全部、いまいる場所で確かめられることだ。ここが分かっていないと、外を見ても比べようがない。
② 求人を見てみる
次に、外がどうなっているかを軽く見る。
リクナビNEXTあたりで十分だ。人と話さずに並べるだけでいいし、応募しなければ何も起きない。
ここは軽くでいい。社内で比べても答えが出ないことだけ分かればいい。
③ 自分の市場価値を確認する
求人票に出ているのは募集の幅だ。その幅の中で自分がどこに入るのかは、また別の話になる。
俺が数字で見たのはミイダスの無料診断だった。⚠️ 出た金額がそのまま提示されるわけではないが、大きく離れているなら判断の材料にはなる。
人に会うのはまだ気が重い、という人はここまででいい。①〜③だけでも、いまの位置はだいぶ見える。
④ 転職エージェントに相談する
①〜③は全部、自分で見る作業だ。それでも最後に1つ残る。
いまのスキルで、実際にいくらの求人に出せるのか。
診断で出るのは平均に寄った数字だ。リクルートエージェントのように経歴を見た人が「この経験ならこの求人に出せる」と言う数字の方が、当てになる。
正直に言うと、いちばん効くのはここだと思っている。聞くだけ聞いて、動かなくてもいい。
この4つが揃うと、いまいる場所が地図の上のどこなのかが分かる。
分かってから、動くかどうかを決めればいい。
俺は市場価値を人脈だと思い込んでいて、社外で通じるものが何も無いと決めつけていた。
まとめ
配車を3年やって、逃げた。当時は本当にそう思っていた。
自分に積み上がるのは人脈だけで、それは会社の外に持って出られない。だから自分には価値がないと思い込んでいた。
辞める決め手は年収じゃなかった。上司の週1日の休みと、土日に遊んでくれた父親の記憶だ。この働き方のまま家族を持つのは無理だと思った。
そして辞めると言ったら、急に人が増えた。
この会社でしか通用しないと思っていた調整力は、転職先でそのまま評価された。立場の違う相手の間に立つ仕事は、業界が変わっても同じだった。
年収は一度87万下がって、戻すのに4年かかった。それでも最後は600万に届いた。
逃げたこと自体は、間違っていなかった。間違っていたのは、確かめる前に「どうせ無理だ」と決めていたことだ。
確かめるだけなら、今日できる。